こんにちは。
やすといいます。
プロフィールをご覧いただき、誠にありがとうございます。
本業は、地方情報系大学・大学院を修了後、大手情報通信会社に入社。
パワハラで4年間のメンタルダウン、2回マネージャー試験に失敗した後、36歳で異業界。未経験職種。中小企業へと初転職。
いま経営管理部門のマネージャー+6社の社外監査役として働いているサラリーマンです。
副業は、中小企業診断士の資格を活用した1次・2次試験の解答解説執筆、2次論文添削、事業計画の作成サポートなど、13年間継続し年7件の副収入に到達し、共著2冊。開業届も提出。
休日は8歳息子と遊ぶのが最高に楽しい一児のパパでもあります。
本自己紹介は、僕の44年間を綴っています。
特に、こんな方にお読みいただけたら嬉しいです。
- 年齢を理由に人生諦めてしまっている
- 人生どん底で、自暴自棄になりかけている
- 言い訳ばかりして、いつも先延ばしばかり
- 毎日、会社と家の往復ばかりで何の楽しみもない
- いまの生活に不満はないけど、満足もしていない
- 本業/家事/育児でバタバタ。心の余裕がまったくない
- なんとなく将来が不安。でも何もできず心がモヤモヤ
決して順風満帆でなく、失敗と挫折の繰り返しの人生。
それでも、諦めずにコツコツ歩み続けてきたおかげで、少しずつ人生を変えることができました。
いまは本業、副業、家事、育児、情報発信と忙しいながらも、心身充実した日々を過ごせています。
そんな僕の44年間の歩みについて、
・経歴
・人生変わったきっかけ7選
・やすの思い
の大きく3部構成で書き上げました。
ぜひ、ご一読いただけましたら嬉しいです
それでは、どうぞ。
経歴
幼少期
1980/11/2
三重県で誕生。
父親が転勤族で、幼少期は東京、静岡、愛知といろいろな場所を回っていたみたいです。
幼稚園は、年少だけ愛知県で過ごして、年中、年長の2年間は三重県へ。
ほとんど記憶はないのですが、
- 近所のスーパーでガチャガチャやりたいって泣き騒いでいたこと
- トイレのドアの鍵を内側からかけて出れなくなって、大泣きしていたこと
- 好きな女の子の家でスーパーマリオのファミコンをしていて、帰らないってダダこねていたこと
なぜか、こんな記憶だけあります笑
小学校時代
幼稚園を卒園し愛知県へ戻ってきました。
小学校1年生から大学院2年生まで、ずっと愛知県で過ごしていたので、実質僕の地元になります。
低学年のときは、何かを自分の手で作ることや、いろいろなものを集めて眺めることが大好き。
外より家の中で遊ぶことの方が多かったです。
- お絵かき帳にドラゴンボールの絵を描く
- スーパーマリオのゲームをお手製で作る
- ビックリマンシールやドラゴンボールのカードダスを集める
高学年のときは、「ドラゴンクエスト」「ファイナルファンタジー」といったRPGゲームに大ハマり。
学校から帰ってきたら即ファミコン。
とにかく完全制覇への欲が強くて、
- 全員レベル99目指して毎日敵を倒しまくる
- 武器防具やステータスは最強を目指す
- やり込み要素も全部やる
と、ひたすら夢中になっていました。
父親から「やりすぎはダメ!」と怒られていましたが、とにかくゲームが楽しくて仕方なかったので、子どもなりにいろいろ言い訳したり、父親の目をかいくぐったりしながら、やり続けていたのを覚えています。
(その反動で一気に視力が低下したのもこの時期です…)
小学校5年生、6年生のとき、一気に身長が20cmほど伸びました。
このとき、身長の伸びに体がついていかず、授業中に気持ち悪くなって何度も吐き気に襲われたことも…
このことがきっかけで、若干のいじめも受けました。
中学校時代
小学校のとき、まったく運動をやってなかった運動オンチの僕が、何を血迷ったか、中学一、二を争うほど厳しい「バスケ部」へ入部しました。
きっかけはほんと単純。
当時、「スラムダンク」というマンガを見て、バスケ面白そうって思ったから。
バスケ部に入れば、流川みたいにダンクできるようになってモテるって思ったからです笑
そんな不純な動機で入部したバスケ部の厳しさは想像以上。
- 毎日の朝練は4kmマラソン
- 10分の休憩時間以外は飲み物を飲めない
- 夏休み、冬休みのボールを持たない基礎練習は約2時間
- 100本連続でレイアップが決まらなかったら、1本目からやり直し
最初は30人くらいいた同級生も、最後まで残ったのは15人くらい。
もともと、まったく運動もやってなかったので、死にそうな日々を過ごしていました。
でも、不思議なことに、やめたいと思ったことは一度もなかったんです。
基礎練習はしんどくて何度も倒れそうになったけど、体力がついたり出来ることが増えたりすることが嬉しかったし、メンバー同士の仲がとても良かったので、純粋に部活が楽しかった。
走りまくっていたおかげで、1年生のときは7分50秒くらいだった1.5kmマラソンのタイムが、3年生のときは5分47秒まで縮めることができました。
風邪引いたときを除けば3年間で1回も練習をサボらず、2年冬のときはスタメンを勝ち取ることもできました。
ただ3年夏の最後の大会はスタメン落ち…
これまでの人生で一番悔しい思いをしました
小学校のとき、何も運動してなかった僕があれだけ苦しかった部活をやり遂げたこと、バスケ初心者だったのにスタメンを勝ち取れたことは、とても嬉しかったし大きな自信になりました。
3年夏。
部活が終わって、いよいよ受験勉強スタート。
僕の弱点は、当時の理科1分野。
毎回、定期テストの点数が50点以下で、一番ひどいときは30点前後と、とにかくどうしようもない状況でした。
さすがにこのままではマズイと思い、夏から塾を変えて夏期講習で猛特訓。
そのおかげで、夏休み後の定期テストの理科1分野で78点を取ることに成功。
あれだけ苦手だった理科1分野の得点がアップしたおかげで、受験勉強に対する自信が芽生え、結果、第1希望の地元の進学校に合格することができました。
高校の校庭に貼ってあった合格者一覧から自分の名前を発見したときの喜びは今でも忘れられません
いまでも大好きなB’zの音楽との出会いも中学生のとき。
給食のときに流れてきた音楽を聴いて「めちゃくちゃカッコいい!」と衝撃が走りました。
友達に「これ何て曲か知ってる?」って聞いたら、「愛のままに~っていうとにかく長いタイトルの曲」って教えてもらって、学校が終わった後、近所のCDショップに猛ダッシュ。
そこで、「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」のCDを見つけて、「これだーーーー!!!」と大興奮。
一緒に並んでいた「裸足の女神」とセットで即購入。
何度も何度もリピートして聴いていました。
44歳になった今もB’zの音楽が大好き。まさかこんなに長い付き合いになるとは思ってもいませんでした笑
やすの好きなB’zの曲ベスト5
・春
・東京
・光芒
・You Are My Best
・恋じゃなくなる日
部活。受験。B’zとの出会い。
とても楽しく心の底から充実した中学校生活でした。
諦めなければ道は拓ける。努力した先に手に入るものはきっとある。日々の積み重ねが大きなことに繋がる。そんな大切なことを実体験で学んだ気がします。
高校時代
高校は地元の進学校に入学。
中学校の延長でバスケ部に入部したのですが、中学のときほど夢中になれず、心ここにあらずな感じでした。
そんなとき、体育の授業でやったハンドボールが楽しくて、もうちょっとやってみたい気持ちに駆られることに。
1年夏にバスケ部を退部して、代わりに1年秋からハンドボール部に入部。
ただ、そのハンドボール部も1年続けた2年秋に退部。
少しずつ、大学受験に意識が向き始めるようになりました。
大学受験は1日8時間の勉強が必要
学校、受験予備校、どこでもこの言葉を聞くことが多く、知らないうちに、「8時間勉強しないと大学受験に合格できないんだ」と思い込むようになりました。
それからは、いつでもこの言葉が頭の中をぐるぐる回って、夏休み、冬休み、休日は8時間以上、近所の図書館や予備校、高校の補講などで勉強するように。
勉強をはじめたときは、「第1志望校に合格したい!」
そんな純粋な思いが強かったのですが、勉強を進めるにつれて、「大学に進学しなければならない」といった義務感や責任感ばかり感じるようになりました。
自分に集中していたというより、世の中の常識やまわりの受験生の動きばかり気にしていた感じです。
8時間勉強できなかったときは、「今日はできなかった」「自分はダメなんだ」と自己否定や自己嫌悪に陥ることもありました。
合わせて、浪人への抵抗感もすごく強かった。
- 1年出遅れてしまう
- 親に迷惑かけてしまう
- 二度とつらい受験勉強をしたくない
そんな思いから、勝手に自分で自分を追い込んで、どんどん心がつらくなっていきました。
いまにも崩れ落ちそうな精神状態でしたが、なんとかギリギリのところで踏ん張って、地元の第1志望校に合格。
ようやく受験勉強から解放された…合格した喜びはまったくなく、ホッとした気持ちでいっぱいでした
部活は中途半端。
受験はつらかっただけ。
中学時代と違って、ほとんど楽しい思い出のない高校時代でしたが、唯一楽しかったのが、自分の好きなアーティストのライブに参加しまくっていたことです。
GLAY、ELT、相川七瀬、浜崎あゆみ、夏フェス…
中でも、大好きだったB’zのライブに高2のときに初参加。
- いままでCDで聴いていた曲をリアルで聴けた感動!
- 最初から最後まで絶叫しながら走り回るパワフルなステージ!
- 会場の盛り上がりと一体感!
ますますB’zのことが好きになって、どんどんハマっていきました。
今年でファンクラブ26年目。いまでもライブがある年は、毎年4回前後、各地のライブ会場に飛び回っています。
大学時代
大学では情報科学を専攻。
高校時代の苦しい受験生活から解放されて、楽しい大学生活を満喫します。
高校のとき、一回辞めたバスケも学外の社会人サークルに混ざって再開。
部活と違って、ちょっと緩い雰囲気でワイワイ楽しくやれる感じが心地よく、このときバスケの楽しさを再実感。
サークル以外にも、大学講義が終わった後に体育館で自主練したり、バスケの試合を観に行ったり、バスケと触れ合う時間が一気に増えました。
大学に入ってアルバイトもスタート。
- 某スーパーで3か月
- 某引っ越し業者で3日
- 某牛丼屋で大学院2年生までの5年間
特に、某牛丼屋のアルバイトは、仕事が楽しくやりがいがあったことに加え、良き人間関係に恵まれました。
アルバイト以外でも一緒に時間を過ごすことが多く、僕の人生の大切な1ページです。
バスケサークル、アルバイトと充実した大学生活を過ごす中、3年生の冬、”大学院進学”、”就職活動”の進路選択に迫られます。
まわりの同級生が就職活動に慌ただしい中、
- 大学院修了の方が良い就職先に就職できるかも…
- いま、就職氷河期だから時期をずらした方が良いかも…
- もう少し遊びたい笑
そんな理由から大学院への進学を決めました。
大学院時代
同大学の大学院へ進学。
専攻は、大学時代と同じく情報科学です。
気楽な気持ちで進学した大学院でしたが、大学時代と180度変わって、朝から晩まで研究三昧のめちゃくちゃ忙しい時間を過ごすことになります。
研究内容は、当時、世の中であまり実績のなかった分野の研究。
研究室の教授から、「ちょっとやってみよう」と言われたことがきっかけでした。
何気ない気持ちで「やってみるか」と思ったのが不幸?の始まり。
前例がないので、先人の研究結果や論文を参考にすることができず、一から参考図書を読み漁り、プロセスを考えてプログラムを組んで、検証を繰り返す必要がありました。
でも、ここで一つ大きな問題が生じます。
大学時代、情報科学を専攻していたにも関わらず、僕の一番苦手な科目は「プログラミング」だったんです。
プロセスを考えることすら大変なのに、四苦八苦して考えたプロセスをプログラムに落とし込むことが出来なくて泣きそうな毎日…
1週間に1回の研究報告ゼミでは、苦し紛れの言い訳のオンパレードでなんとかやり過ごしてばかり。
ゼミの教授も呆れてたと思います汗
まわりの同級生が次々、研究成果を出して学会発表や論文投稿を進めていく中、僕だけ何もできず、時間だけ過ぎていく状況にめちゃくちゃ焦っていました。
- 「なんとかしなきゃ」と焦る気持ちから、大好きなバスケサークルやアルバイトの時間も激減
- お金がなくなって、昼と夜はカップラーメンを研究室で食べる日々
- 運動もしないで、パソコンとにらめっこの毎日で体重も増量
完全に悪循環。
それなのに、肝心の研究成果はまったく出ず、やりたいこともできず、ストレスだけがどんどん溜まっていく…
そんな毎日に嫌気がさして、自分で選んだはずなのに、何度も大学院をやめたいって思いました。
大学院から逃げ出すために思いついたアイデアが公務員試験の受験。
受験予備校に20万円の大金をつぎ込みました。
でも、ネガティブな気持ちから始めた公務員試験の勉強に興味が湧くはずもなく、1か月も持たずにあっさり挫折…
あっさり大金をドブに捨てただけで終わりました。
大学院をやめる勇気もなく、ギリギリの状態で耐える日々…
なんの光も希望も見えないつらい日々でしたが、大学院1年生が終わる頃、ほんの小さな光を見つけることができたのです。
「よかった…」
そして、大学院2年生が始まった頃。
この小さな光を頼りに一つの研究成果をまとめることができ、遅ればせながら、ついに学会発表のデビューが決まります。
舞台は、国内をすっ飛ばしてまさかの海外!
はじめての学会にも関わらず、いきなり韓国で開催される国際学会にて英語での論文寄稿・発表をすることになったんです。
頭の中は真っ白でしたが、やるしかない…
まったく英語ができなかったので、Googleの翻訳機能を使って日本語を英文にしたり、想定質問を準備したり、慣れない作業に大苦戦。
カップラーメンとコーヒーを片手に徹夜の日々が続きました。
迎えた発表当日。
ガチガチに緊張していた僕に追い打ちをかけたのが、僕の前の発表者です。
- 英語がめちゃくちゃ流暢で、質疑応答のやり取りもすごすぎる
- なんとなく研究内容もすごそうに見える
そんなすごいものを目のあたりにして、自分の中の糸が切れます。
「いや、自分には無理。どうにでもなれ!!」
前の発表者がすごすぎたおかげで、ある意味開き直ることができました笑
これまでは、
- うまく発表しなきゃ…
- 自分みたいな初心者がこんな場所に来ていいんだろうか…
そんなことばかり考えていたのですが、めったにない機会に恵まれたんだし、初心者の自分に流暢なやり取りなんて出来ないんだから、自分にできることをやり切ろう!
そう本番直前で考えを改めることができたのです。
いよいよ僕の出番。
ひたすら、事前練習で覚えこんだぎこちない英語で発表。
質問も5つもらいましたが、的を得た回答を出来ていたかどうかも怪しさ満載…
それでも何とか質疑応答もクリア。
無事?学会デビューを果たすことができました。
1年冬から就職活動もスタート。
大学時代は、まったく就職活動をしなかったので、はじめての就職活動でした。
まわりの同級生は就職活動に後ろ向きでしたが、僕は、はじめて社会と接点が持てること、東京や大阪といった自分が知らない土地へ行くことがプチ旅行みたいで思いのほか楽しかったです。
なにより、研究室にこもっていた日々から外に出れるチャンスだったので、心身のリフレッシュにもなったし、1週間に1回の報告ゼミをさぼる良い機会になりました笑
就職先は、プログラミングが苦手と自覚していたにも関わらず、
- これからの時代、情報の知識や経験は大切な気がする
- プログラミング以外の情報分野なら、なんとかなるんじゃないか
- 情報系大学院に進学したから情報系企業の方が内定が出やすいんじゃないか
こんな理由から、情報系業界を中心にエントリー。
就職氷河期だったにも関わらず、最終的に4社から内定をいただき、うち「東京のIT会社」「大手情報通信会社」の2社から就職先を決めることに。
かなり悩みましたが、
- 大企業で働きたい
- 社会に大きな影響を与える仕事がしたい
- 転勤で地元に戻ってこれるかもしれない
この3つを決め手に「大手情報通信会社」への入社を決めました。
修了論文の提出も無事終了。
大苦戦で泣きそうな思いばかりの大学院生活でしたが、なんとか修了することができました。
社会人1年目~(広島)
社会人1年目は縁もゆかりもない広島支店に初期配属。
親元を離れて寮生活での社会人生活がスタートしました。
はじめての仕事。はじめての土地。はじめての一人暮らし。
何もかもはじめてのことだらけで、とにかく余裕のない毎日でした。
仕事でクタクタになって家に帰ってきても、家の中は真っ暗。音も光もない。お風呂も沸いていなければ、ふとんも自分でセッティング。
玄関を開けたとたん、さみしい気持ちになることもしょっちゅうありました。
これまでは、家に帰ってきたら母親が「おかえり」と言ってくれる。ごはんがある。お風呂が沸いている。洗濯や掃除もしてくれる…
これが当たり前だと思っていたし、疑ったこともありませんでした
実家から離れてはじめて、今まで当たり前と思っていたことが当たり前じゃないことに気づきました。
自分で経験してはじめて分かることだらけ。
「これまで気づかないところでたくさん支えてもらっていたんだな…」
そんな両親への感謝の気持ちが沸いてきたのです。
仕事は、お客様のシステムやネットワーク環境の提案、構築、保守運用業務。
いわゆるシステムエンジニア職です。
大学で情報を専攻していたにも関わらず、社内やお客様との間で飛び交う会話は分からないことだらけ。
「知識を身につけなきゃ…」
そう思って始めたのが、資格の勉強です。
当時の僕は、「資格を取れば仕事が出来るようになる」と思い込んでいたので、情報処理の国家資格や民間資格、ベンダー資格、とにかく仕事に関係しそうな資格を手あたり次第、勉強しまくっていました。
でも、いくら資格の勉強をしても仕事が出来るようにならないし、会話が出来るようにもならない…
仕事に慣れず、少しパワハラ気味の先輩に怒られる日々。
自分の不手際が原因でお客様の大切なシステムを止めてしまったこともありました。
ストレスから白髪ができたり、じんましんになったりしたことも。
「もうシステムエンジニアは嫌だ!!」
自分から望んで飛び込んだ情報業界だったのに、たった2年で自分はシステムエンジニアは向いていないと思い、「次の異動先ではシステムエンジニア職以外でお願いします」と、異動面談のときに声を大にして伝えました。
嫌で嫌で仕方のなかったシステムエンジニアの仕事でしたが、この2年間の現場で培った知識/経験、情報システム構築/保守の構造/特徴、お客さまとの折衝経験などが、12年後の転職先で活きることになります。
社会人3年目~(愛知)
はじめての異動で地元愛知へ復帰。
会社へは実家通い。1人暮らしのときと違って、慣れ親しんだ環境、実家。健康的な食生活、精神的な落ち着きを取り戻すことが出来ました。
新しい仕事は、これまでのシステムエンジニア職からガラッと変わって、組織/人員設計、若手社員研修、採用活動といった社内業務に関わることに。
システムエンジニア職から逃げることに成功です笑
新しい部署では、
- Word/Excel/PowerPointなどのOffice製品
- 社内説明資料の作り方
- 社内調整/スケジュール管理
など、後の仕事人生で役立つスキルや経験をたくさん積むことができました。
入社3年目で経営に近い業務に就いたことで、経営者や役職者と接する機会が多く、会社全体について考える機会が増えたことは大変有難い経験となりました。
この時期、自分のキャリアについて考えることも多かったです。
当時の僕は、「キャリアアップ=資格取得」の固定概念がとても強く、世で言う難関資格を取ればキャリアアップできる!と思い込んでいたので、税理士や行政書士といった現業にまったく関係のない資格に興味を持ちました。
でも実際勉強を始めてみると、
- 実務に関係ないのでモチベーションが湧かない
- 資格取得後、どう資格を活かせばいいのかイメージが湧かない
- 資格ガイドに書いてあるキャリアをどう実現するのか想像できない
と、特に明確な目的なく、なんとなく始めた勉強だったので、両資格とも1か月も経たないうちにあっさり挫折。
受験予備校に注ぎ込んだ計30万円もの高い受講費をドブに捨てることになります。
公務員試験のときと同じパターン。あのときの失敗を活かすことができず自分に嫌気がさしました。
また、目先の甘い言葉や誘惑にフラフラすることも多かったです。
- 投資で200万円の損失
- FXで60万円の損失
- 情報商材詐欺で50万円の損失
受験予備校費、投資/情報商材詐欺の損失。
実家通いにも関わらず、自分の懐の甘さのせいで、お金は貯まるどころか、どんどんなくなっていきました。
- 甘い誘惑に良き話はない
- 楽して儲ける上手い話はない
- 自分で情報を目利きする知識や経験は必須
- 目的があいまいだと何も続かないし、やる気も出ない
高い授業料となりましたが、この苦すぎる経験のおかげで人生を生きる上で大切なことをたくさん学んだ気がします。
社会人5年目~(大阪)
大阪本社勤務。
広島時代は寮。愛知時代は実家通い。大阪では、はじめて賃貸物件を借りて一人暮らしを経験しました。
- 新規プロジェクトチームに配属
- 中小企業診断士資格へのチャレンジ
新規プロジェクトチームに配属
全社新規事業を推進していくプロジェクトチームに配属となり、ベテラン営業の先輩と2人1組になって、新規顧客を開拓していく業務に就きました。
社会人5年目にして初の営業職を経験。
この新規顧客開拓で痛感したことは、
自分はお客さまと話すことができず、ビジネスのことが全然分かっていない。
ということです。
お客さまとの商談では、事前に準備した提案書の内容に沿って、通り一辺倒の内容を説明。
問題はこの後。
- ここをもうちょっと教えてほしい
- ほかの会社さんはどう?
- いま、業界ってどんな感じですか?
ちょっとでも提案書から離れた内容の質問がくると早々にギブアップ。
あたふたして、黙り込んでしまって何も回答できず…
お客さまからも「あ、分からないならいいですよ」と、気を遣わせてしまうような情けない対応をしていました。
新規顧客開拓のミッションを背負っているにも関わらず、契約を目指すどころか商談の場が早く終わってほしい一心。
僕の態度はお客さまにも伝わって、会話も続かず、なんとも重たい雰囲気に包まれてばかり…
そんな商談を何度も繰り返していました。
ところが先輩は違います。
お客さまから何を聞かれても、次から次へと即回答。
時おり、雑談や冗談も混ぜて、お客さまからも笑みがこぼれて場の空気も和やかに。
僕が話しているときと、先輩が話しているときの雰囲気はまるで違うんです。
自分がやっていることが全然上手くいかず、悩みまくって、できない自分のことが嫌で嫌で仕方なかった…
もう1人ではどうしていいか分からず、勇気を出して、先輩に聞くことにしました。
「どうやったら、先輩みたいにお客さんと話せるようになりますか?」
すると、
「自分も最初は全然話せなかった。やすと同じだよ。めちゃくちゃ悔しかったから、たくさん勉強してセミナーにも参加して、休日も社外の人と交流して知識や人脈を作ることに力を注いだよ」
頭をガツンと殴られた感じでした。
なんでもできる先輩にもできない過去があって、できない状況をなんとかするために、こんなにも努力を重ねた時期があったなんて想像もできなかった。
先輩は最初からできる人。自分には才能もセンスもない…そう思い込んでいたんです。
「自分はできないことだけ悩んで、なにも努力をしていなかったな」
自分のことが情けなくて、恥ずかしくて、不甲斐なくなりました
その日から、自分の考えや行動を改めました。
- 専門誌を買ってきて読む
- 提案内容に関連する自社商材の勉強をする
- インターネットから知識や競合の情報を調べる
- 先輩とお客さまの会話をメモしてQ&Aにまとめる
これまで何の勉強もしてこなかった自分自身に反省して、自分にできることを少しずつやっていくようにしました。
すると、ちょっとした変化が起こります。
いままでまったく分からなかったお客さまや先輩の会話の内容が少し分かったり、少しずつお客さまとの会話のキャッチボールができるようになったりしたんです。
これまでは、「もう話さないで」「早く商談終わって」と、後ろ向きな気持ちでしたが、お客さまの話が分かったり、自分が言ったことに反応を示してくれると嬉しい気持ちになったり、商談に対して前向きな気持ちが生まれてきました。
そんな小さな変化が実を結び、ついに1件の新規受注!!!
心の中で小さなガッツポーズを取ったのです笑
知識を身につけて実践で試すことの重要性をまざまざと実感しました。
中小企業診断士資格へのチャレンジ
いろいろな業界/業種のお客様とお会いしていく中で、
- もっとビジネスのことを学びたい
- 社外の人との交流を増やしたい
こんな気持ちが芽生えるようになりました。
「なにか良い手段はないものか…」
そう思って本屋へ立ち寄って資格コーナーで見つけたのが、「中小企業診断士」と書かれたパンフレットです。
中身を見ると、
- ビジネスを体系的に学べる
- 社外の人との交流を持てる
- 副業ができる
と、なんとも今の自分が求めている魅力的なキーワードがズラリと並んでいました。
「これだっ!!!」
キャリアアップを目指したいときに目が向くのは「資格」。
これまでの自分とまったく変わらない動きと思考。さすがに自覚するようになりました汗
でも、これまで資格に飛びついてきたときと比べて、少し違った感覚だったんです。
いままで資格試験の勉強を始めた動機を振り返ってみると、あいまいでネガティブなものばかり。
- 大学院時代、公務員試験に飛びついたのは、目の前の研究から逃げたかったから
- 広島時代、情報関連の試験を受けまくっていたのは、目の前の業務に迫られて「勉強しなければ」といった義務感から
- 愛知時代、税理士や行政書士資格に飛びついたのは、世でいう難関資格に合格すれば年収アップやキャリアップできると思ったから
でも、診断士資格のパンフレットを見たときに感じたことは、
- 勉強内容そのものが楽しそう
- いま感じている悩みを解決するきっかけになりそう
- 愛知の業務経験から経営の勉強をしたい思いがあった
と、”前向きな気持ち”でした。
なにより、一番の違いは自分の気持ちがワクワクしていたことです。
自分の直感とワクワクの気持ちを抑えることができず、迷わず診断士資格を目指すことに決めました
ただ、実は大きな問題が一つ。
このとき12月。
実は、2か月前に入籍したばかりの新婚ホヤホヤの時期でした。
中小企業診断士資格の平均勉強時間は約1,000時間。
しかも、1,000時間勉強したから合格できるなんて保証はどこにもありません。
「反対されるだろうな…」
そんな気持ちを持って、恐る恐る妻に切り出したところ、思いもよらぬ一言が。
いいんじゃない。やりたいなら、やったら。
反対どころか、サラッと背中を押してくれたのです。
このとき、背中を押してもらった妻には感謝の気持ちしかありません。
「絶対、1年で勉強を終わらせる!!」
絶対、1年で勉強を終わらせる!!
このときは想像もしませんでしたが、このときの決断のおかげで、3年後に訪れる人生どん底の危機を乗り越えることができ、転職、副業、共著出版、開業届と人生変えていくことになります。
社会人7年目~(愛媛)
海を渡り、今後は愛媛県へ。
四国は、プライベートも含めてはじめての土地でした。
- 中小企業診断士資格に10か月ストレート合格
- 中小企業診断士としての活動スタート
- 仕事が楽しく、最速出世を果たす
中小企業診断士資格に10か月ストレート合格
はじめての土地。新しい職場や人間関係。
目の前の仕事や環境に慣れることでいっぱいいっぱい。
住まいは、着任週末の土日でバタバタと賃貸物件を探し回って、その日曜日に即契約して、翌日から入居。
落ち着く間もなく、バタバタした時間を過ごしていました。
そんな中、不安な気持ちでいっぱいだったのが、昨年12月から始めた中小企業診断士資格の勉強。
愛媛に転勤してきたのが7月。
中小企業診断士1次試験の日程は、8月の第1週土曜日。
なんと試験まで1ヶ月もない状態だったんです。
「合格できるかな…」
どんどん試験日は近づいてくるのに、目の前のバタバタに振り回されて、思ったように勉強できず焦る日々。
自分の弱気な気持ちに何度も押しつぶされそうになりました。
でも、これまでの12月~6月の7か月間、必死に勉強してきたのに、たった1ヶ月勉強できないだけで諦めるなんてもったいない。
診断士資格の試験は年1回。
年に1回の貴重な機会を自分から手放すなんて、出来なかった。
また1年頑張る気力が持つ気もしなかったし、1年後も万全の状態で迎えられる保証なんてない。
なにより、勉強をスタートしたときに「1年で終わらせる!」と決めた自分との約束を自分から破るようでイヤでした。
- 自分から勝手に諦めるな
- 諦めなければ何が起こるか分からない
- とにかくモチベーションだけ保って8月を迎える
そう自分に言い聞かせることに全力投球。
おかげで7月を乗り越えることができ、8月の1次試験にたどり着くことができました。
結果、合格ライン420点に対し429点。
なんと、奇跡は起きたのです!!
1次試験に無事合格できてホッとしたのもつかの間。
2か月後の10月には、診断士資格試験の最難関と言われる2次筆記試験が待ち構えていました。
これまでの8か月間、1次試験の勉強に集中していたので、2次筆記試験の対策はゼロ。
はたして2か月で挽回できるのか…
不安な気持ちしかありませんでしたが、支えになったのが1次試験の合格結果です。
「1次試験だって、最後まで諦めなかったおかげで合格できた。2次試験だって、やってみないと分からない」
気持ちを切り替えて、2次筆記試験の勉強スタート。
2か月後の10月。
無事、2次筆記試験も一発合格。
この流れに乗って、12月の2次口頭試験。翌年2~3月の実務補習も終了。
4月に晴れて中小企業診断士の合格証を手にすることができました。
中小企業診断士としての活動スタート
「受験体験記を書いてもらえませんか?」
通信講座を受講した受験予備校から、1通のメールが届きました。
- 自分の受験体験記がほかの人の役に立てるのなら
- 自分自身の受験時代を振り返る良い機会にもなる
- 単純に、受験体験記を書くのがおもしろそう
こんな思いで、「お願いします!」と返信。
自分なりの思いや経験を詰め込んだ受験体験記を書き上げて、後日、受験予備校のWEBサイトに自分の記事が掲載されました。
「ほんとに診断士試験に合格できたんだな…」
なんだか感慨深い気持ちになりました。
そして、受験予備校から謝礼金の振込。
僕にとって初めて会社の給料以外で稼いだお金です。
「会社の看板」で稼いだお金でなく、「やす個人」として稼いだお金。感動と同時に、ものすごい重みを感じました
その後も模試作問、本試験解答作成、専門誌への寄稿など、有難いことに次々と執筆機会をいただくことができ、少しずつ診断士としての実績を積んでいくことができました。
診断士の活動量を増やすべく、愛媛県の中小企業診断協会にも入会。
こうして、本業+診断士の「2足のわらじ」生活を歩み始めたのです。
仕事が楽しく、最速出世を果たす
愛媛支店では、大阪本社時代に全社事業として立ち上げた新規事業を、四国4県で推進するリーダー役のポジションに就きました。
愛媛時代の2年間は、1週間のうち2~3日は日が変わる直前まで仕事していたことや土日に家で仕事していたことも。
僕のこれまでの20年の社会人生活の中で、一番仕事に明け暮れていた時期だと思います
まわりからは、業務量の多さや忙しさから「大丈夫?」と心配されることが何度もありましたが、とにかく仕事が楽しくて目の前の業務に夢中になっていました。
社内の雰囲気もとても良くて、お互いがお互いを助け合う温かい人たちばかり。
そんな素敵な環境や人に恵まれて、がむしゃらに仕事を頑張った結果、本社社長表彰の受賞にまで至りました。
愛媛支店内で最高の評価をいただき、ボーナスも過去最高。
愛媛着任から2年後、最速出世で大阪本社への異動が決まりました。
プライベートでは、これまで来たことのなかった四国4県を満喫。足を伸ばして、広島や九州地方にも出かけることもしばしば。
はじめて四国に来たときは不安な気持ちも多かったのですが、振り返ってみれば公私ともに充実した最高の2年間を過ごすことが出来ました
社会人9年目~(大阪)
愛媛で最高の実績を残し、再び大阪本社へ異動。
愛媛時代の勢いそのままに!…とはいかず、これまでの人生で一番の「挫折」と「苦しみ」を味わうことになります。
- パワハラ上司に怯える日々
- 1回目の転職活動
- 中小企業診断士資格の勉強会へ参加
- 社外活動を広げていく
- 同社で頑張ることを断念
- 2回目の転職活動
- 退職
パワハラ上司に怯える日々
社員数20,000人を超える社内でも超有名なパワハラ上司の下で働くことになりました。
- 何を言っても否定
- 人格否定は日常茶飯事
- 顔を見て話してもらえない
- スケジュールを抑えても後回し
- 資料を投げ捨てられることはザラ
毎朝、オープンスペースで30分のチームミーティングがあったのですが、フロアに響き渡る声で罵声の嵐。
ほかのマネージャーも関わりたくないと言わんばかりに見て見ぬふり。
愛媛時代はあんなにも仕事が楽しくて、前向きに頑張っていたのが嘘のよう。
毎日ネガティブな気持ちで、下ばかり向いたどんよりした日々を過ごしていました。
パワハラ上司が怖くて怖くて、席に座っているだけで心が張り裂けそうな状態になっていたので、まともなコミュニケーションも取れず仕事にも悪影響。どんどん悪循環に陥っていきました。
同じ仕事をしても、環境や人が違うだけでこうも変わるのか…と思い知らされました
そして、1年ちょっと経った頃、自分の心身に異変が起こり始めます。
- 朝、玄関を開けるのがつらい
- 会社の最寄り駅で降りたくない
- オフィスのドアを開けるのがつらい
- 夜の寝つきが悪くなる
- 夜中に何度も目が覚める
- 休日もリフレッシュできない
- 頭からパワハラ上司の顔が離れない
自分の体調は明らかにおかしくなっているし、このままでは心身壊れてしまう…
自分でも異変に気づくほど、まともでない状態になっていたのです。
でも、会社を休むことも、ほかの誰かに相談することもできませんでした。
「パワハラ上司から怒られるのは仕事ができない自分のせい」「仕事から逃げるなんて絶対ダメ」と自己否定、自己嫌悪に陥るとともに、仕事に対する変な義務感や責任感に覆い尽くされていたからです。
いまにも力尽きそうな心身を責任感と気合いだけで耐える日々。
まったく生きている心地がしませんでした。
1回目の転職活動
「いまの環境から逃げたい…」
そんなネガティブな気持ちから始めたのが1回目の転職活動です。
日々の仕事と落ち込んだ精神状態の中での転職活動はかなり辛かったのですが、とにかく今の環境から逃げたい一心で必死でした。
この先も情報通信業界で頑張り続けるイメージができず、興味のあった「東京勤務」「教育業界」「経営管理職」へエントリー。
早く転職して今の環境からおサラバしよう…それしか考えてませんでした。
ところが、そうは現実うまく行きません。
このとき、34歳。
世の中の厳しさを痛感します。
- いまの会社で頑張った方がいいんじゃないですか?
- いまの会社規模と給料で、なんで転職なんてするんですか?
- 未経験の方で30歳過ぎはちょっと…
書類選考は落ちまくり。
ようやくたどり着いた面談でも厳しい言葉を多々かけられることがありました。
それでも諦めず、書類を送る日々。
面談のために、半休や有休を取って新幹線で東京と大阪を往復。
ときには節約のために、東京から夜行バスで大阪に翌朝一番について会社へ向かうこともありました。
毎日心身ボロボロで金銭的にも苦しいときが続きましたが、そんな努力が実を結び、25社へアプローチしたうち、2社から念願の「内定」をもらうことができたのです。
「よし!!やっといまの会社から逃げ出せる!」
そう思ったのもつかの間。
せっかく内定をもらったのに、転職に踏み切ることが出来なかったんです。
- パワハラ上司に言うのが怖かった
- 両親から猛反対された
- 自分のプライドや見栄を手放せなかった
パワハラ上司に言うのが怖かった
単純にパワハラ上司に切り出せませんでした。
- なんて言われるだろう…
- 怒られたくない…
- パワハラ上司と話さなければいけない…
ちょっと相手の顔色を想像しただけで胃が痛くなって動けなくなる。
とにかく怖くて怖くてどうしようもなかったんです。
両親から猛反対された
両親だけは味方になってくれる。
そう信じて転職を伝えたのですが、まさかの大反対。
- せっかく大企業に入ったのにもったいない
- どこの会社でも人間関係の悩みはつきもの
- 異動したら離れることができるよ。ガマンしたら
心に余裕のなかった僕は、「なんで反対されなきゃいけないんだ!」「いまの僕のつらい気持ちも知らないくせに!」と八つ当たり。
話し合いどころか、一方的なケンカ別れとなりました。
パワハラ上司に言うのが怖かった
当時の僕は、「会社員の成功」=「大企業で出世すること」という強い固定観念がありました。
そのため、いまの環境は最悪であることが分かりつつも、この固定観念を実現できているいまの状況を手放すことができませんでした。
まわりからどう自分が見られるか…
そんなことばかり気にして、自分の気持ちに目を向けることができなかったんです。
中小企業診断士資格の勉強会へ参加
日々生きている心地がしないし、転職も勇気がなくて踏み出せない。
まさに八方ふさがり。
何をどうすれば、このどん底から抜け出せるのか分からず、どんどん気持ちが沈んでいって、自暴自棄になりかけていました。
心底弱り切っていたときに、中小企業診断士コミュニティの先輩から一通のメールが届きました。
「愛知県で診断士2次試験受験生向けの勉強会を企画をしてるんだけど、参加してもらえないかな?」
地元に戻れるし気分転換になるかも…
そんな軽い気持ちで参加することにしました。
当日の勉強会に向けて、自分の担当パートの資料作成を開始。
すると、ちょっと普段と違った感覚を覚えます。
ここ1年強、なにをやってもパワハラ上司や仕事のことが頭から離れなかったのに、勉強会の準備をしているときは、パワハラ上司や仕事から自分を切り離すことができたんです。
ひさしぶりに自分に集中している感覚を味わうことができました。
自分も受験したからこそ分かる受験生の気持ち。
いざ参加を決めたからには受験生のために少しでもお役に立てる話をしたい。そんな想いで当日に向けた準備を進めていきました。
そして、勉強会当日。
- 受験生との模擬面談
- 自分の受験体験談の話
- 当日に向けたアドバイス
- 「絶対合格するぞ!」の一本締め
おかげさまで勉強会は大盛況で終了。
会社でため息ばかりの日々を送っていた僕が、ひさしぶりに笑顔で人と話をすることができ、達成感や充実感を味わうことができました。
勉強会が終わった帰り道。
なんと、参加者の1人が同じ会社の人だということが分かったのです。
- 僕「勤務地はどこなんですか?」
- 参加者「大阪です。今日、大阪から来たんですよ」
- 僕「えっ?僕も今日大阪から来たんですよ」
- 参加者「そうなんですか!?どこの部署ですか?」
世間は狭いとはこのこと。
まさか診断士勉強会で同じ会社の人、愛知で大阪勤務の人に出会えるとは夢にも思っていませんでした。
翌朝、昨日の御礼と思い、社内の社員検索システムへアクセス。
すると、とんでもないことが分かります。
なんと、その参加者は某大規模支店の部長。自分が普通に働いていては、接する機会のない相当偉い人だったことが分かったのです。
「えっ!?僕、アドバイスしたり応援しています!なんて言ったりしちゃったぞ!?大変なことをしてしまった…」
真っ青…
その部長に昨日の御礼と失礼のお詫びのメールを慌てて送付。
なんて返ってくるだろう。
いや、返信すらないかもしれない…
居ても立っても居られない。心臓がドキドキしたまま、10分ほど経った後、その部長から返信がありました。
恐る恐る、メールの内容を確認。
「昨日はありがとうございました。僕もメールしようとしてたんですよ。やすさんの受験談や模擬面談でのご指摘、ほんとに有難かったです。おかげさまで本番の口述試験に自信をもって挑めそうです。ありがとうございました」
僕の考えていたこととはまったく真逆。
たくさんの感謝の気持ちを伝えていただいたのです。
自分の経験を誰かに伝えて感謝してもらったのは、はじめての経験だったかもしれません。ほんわかした温かい気持ちになりました
メールを読み進めていくと、「口述試験が終わった後、よろしければ、ぜひ飲みに行きませんか?」とお誘いまでいただいたのです。
1か月後、口述試験が終わった後、その部長と1対1で飲みに行きました。
出会いが社内でなく勉強会という社外だったので、なぜか社内の人という感じがしませんでした。
とても穏やかな笑顔。やさしい口調。
自分のことを見ながら話をしてくれるし、自分の話を真剣に聞いてくれる。
同じ会社なので社内の話も通じ合うし、「診断士」という共通のキーワードがあったので、どんどん心が和らいでいきました。
そして、その部長のお人柄に甘えてしまい、同じ社内の大先輩にもかかわらず、いま自分がパワハラ上司に悩んでいて、悩み果てていることを打ち明けてしまったんです。
すると、
「そんな上司の言うことは真に受けなくていい。僕は2次試験の勉強会でやすさんと話をさせてもらったけど、素晴らしいと思ったことがいっぱいあったよ。ぜひ、いまのやすさんを大切にしてほしい」
涙が出るほど嬉しかった…
ここ1年、毎日人格否定、罵声の嵐で自分の存在価値なんてないって本気で思っていた僕にとって、自分の存在を肯定してもらえるストレートな言葉が心の底から嬉しくて、心に沁み渡りました。
最後に「僕の知り合いの診断士の先輩がやっている勉強会があるんだけど、一緒に参加しない?」とお誘いをいただいたので、「ぜひ、よろしくお願いします!」と即答しました。
診断士勉強会への参加、社内部長との出会い、新しい勉強会へのお誘い。人からもらったご縁や小さな行動を大切にしたことで、新しい機会に恵まれることができました。
社外活動を広げていく
後日、部長に紹介してもらった診断士2次試験受験生向けの勉強会に参加しました。
自分は講師役として以下を担当。
- 過去問の解説講義
- 受験生の論文添削
- 受験生からの質問回答
勉強会の時間は自分の経験や知識を活かすことができたので、ほんとに楽しくてやりがいにあふれていました。
- ほかの誰かのお役に立てる
- 自分の存在を必要としてくれる人がいる
- 1人の人として会社の肩書関係なくフラットに接してもらえる
- お互い励まし合いながら共通の目標に向かって頑張っていける
新しい自分の居場所を見つけることができた気がして、とても心地よい時間を過ごすことができました。
何回も勉強会に参加しているうちに、勉強会の代表が主催している別のセミナーや懇親会にも誘っていただけるように。
そして、
- 中小企業診断士の先輩
- 他士業の方
- 独立している方
- 他の会社に勤めている方
など、様々な業界、業種、年齢、働き方の人との交流が一気に広がりました。
新しい交流から生まれたご縁をきっかけに、別の交流会やイベントへのお誘い、新しい副業の機会、100名超の診断士向けセミナーの企画運営といった機会をいただくことができ、どんどん診断士としての活動の幅が広がっていったのです。
東京で気になった研修があった場合は、交通費や宿泊費を惜しまず参加するようにしました。
このときの行動がきっかけで、後に東京の企業に転職した際、当研修の代表からデュアル勤務のご紹介をいただくことになります。
社内では、どうしても役職、年齢、部署などを気にして遠慮がちな会話ばかりだったのですが、社外の人たちと話すときは、役職、年齢など関係なく自然体で話せたのがとっても良かったです。
- いまのありのままの自分でいいんだ
- いまの会社の常識が世間の常識じゃないんだ
- いまの会社でダメと言われていることが社外で認められることがあるんだ
会社の外の世界から学ぶことやとても多く、これまでの自分にはなかった新しい価値観や考え方に気づくことができました
そして
「いまの会社で頑張る以外の道があってもいいんだ」
このような新しい意識が芽生えてきたのです。
これまで、「社会で成功すること」=「大企業で出世すること」の固定観念が強かった僕の心の重荷を少しずつ下ろすことができました。
- 自分のやりたいことを見つけたい
- もっと自分の可能性や世界を広げたい
- 会社以外のサードプレイスを増やしたい
- 個で戦っていける経験やスキルを身につけたい
こんな思いが強くなり、診断士活動と並行して、計200万円を投じて3つのコミュニティに飛び込みました。
会社員の”やす”でなく、個の”やす”としてパワーアップしたい。
いまの会社ありきの人生からの脱却を心がけるようになりました
同社で頑張ることを断念
会社では相変わらず心擦り減らす毎日が続いていましたが、社外の人との交流や副業のおかげで、自分の心の拠り所を作ることができました。
会社で落ち込んだメンタルを社外活動で落ち着かせるといった流れを作ることが出来たので、自分の心をなんとか保つことができたのです。
大阪へ異動して3年目の秋。
会社から打診されたのが「マネージャー試験」の受験です。
正直、まったく受かる気がしませんでした。
会社では完全に自信をなくしていたし、1日乗り切ることだけでいっぱいいっぱいの状態だったので、マネージャーなんて到底無理と信じて疑わない状態だったからです。
でも、誰でも受験できるわけではないし、1年に1回のチャンスだから受けるだけ受けてみようと、受験だけはすることにしました。
結果は見事に不合格。
「まぁそうだよな」と、ダメージはゼロ。
まったく気にもなりませんでした。
翌年。2回目のマネージャー試験の受験機会がやってきました。
結果、2回目の試験も不合格。
このときは、1回目と違ってかなり落ち込みました。
- 同期や後輩に追い抜かれていく辛さ
- 会社の仕組みに対する不信感
- 出世コースから外れたことが確定
同期や後輩に追い抜かれていく辛さ
同期が順調にステップアップしていく中、自分だけ同じ場所で踏み止まっていることに嫌気がさしました。
同期を「マネージャー」と呼ぶことへの抵抗感もかなりあったと思います。
さらには、後輩がマネージャー試験に合格していく事実を目のあたりにしたとき、置いてけぼりにあっている感覚に陥りました。
会社の仕組みに対する不信感
「なぜ、この人が合格!?」
大変失礼と承知しつつも、なぜ?と目を疑いたくなる現実を目のあたりにしたとき、会社のシステムに振り回されている自分のことが嫌になりました。
出世コースから外れたことが確定
同社では、「2回マネージャー試験に失敗する」=「出世コースから外れる」という暗黙のルールがありました。
出世コースから外れた時点で、40歳、50歳、60歳の将来像が分かります。
そう。36歳にて会社員人生のゴールが見えてしまったのです。
- このまま会社の良いように使われていくだけなのか
- 自分は会社に認められてないし、必要とされてないんじゃないか
- 将来、同期や後輩との差が益々広がって、もっと自分の存在に悩む日がくるんじゃないか
「あんな辛い思いまでして頑張ってきたのに、自分は何をやってるんだろう…自分の人生、何なんだろう…」
大の大人が電気もつけずに真っ暗な部屋の中で下を向いて呆然としている。そして、これまでの辛い思いがあふれてきて、こらえきれずに涙してしまいました。
これまで3年間、パワハラ上司からのパワハラに立て続けてきた日々を思い出すと同時に、社外活動で得た自分の価値観の変化や社外の人たちとの交流を思い出したとき、自分の中で糸がプツンと切れました。
「もう、この会社で頑張る意味なんてないな」
- 大企業で出世しなくたっていいじゃん
- まわりに何て思われてもいいじゃん
- 親の期待に答えなくてもいいじゃん
これまで勝手に守ってきたプライドや見栄に対するこだわりが一切なくなりました
「いまの自分にとって必要なことは、いまの会社で頑張ることじゃない。自分を大切にして、自分の人生を取り戻すことだ」
なんだか吹っ切れて心も軽くなりました。
翌日。
何気なく立ち寄った本屋で出会った「1冊の著書」、何気なく検索して見つけた「1つのブログ記事」との出会いに後押しされて、僕は今度こそ転職して新しい環境で再チャレンジすることを決めました。
2回目の転職活動
気持ち新たに、2回目の転職活動をスタート。
1回目同様、変わらず興味のあった「東京勤務」「教育業界」「経営管理職」へエントリーしました。
転職エージェントから紹介してもらった2社目の企業が、たまたま自分の希望にぴったり当てはまったので、早速応募。
有難いことに書類選考を通過して、面談にたどり着けました。
1回目の転職活動(34歳)のとき、自分が希望業界/職種に対する経験がないこと、年齢面のことで、厳しい面談が続いていたので覚悟していましたが、
- これまで努力したこと
- そのプロセスから得られたこと
- 中小企業診断士資格を取得しようした思い
など、同業界/同業種における経験や実績でなく、これまでの仕事に対する意欲や姿勢、ポテンシャルを総合的に判断してもらうことができ、無事1次面談を突破。
その後も、2次面談、最終面談と進み、晴れて内定をいただくことができました。
長期間にわたる転職活動も覚悟していたのですが、2回目の転職活動を始めて、たった2か月後にご縁をいただくことができたのです。
1回目の転職活動と合わせると計27社。
こうして、年齢、業界、企業規模の壁を越えて、自分の転職先を決めることができました。
1回目のときと同じく、両親に今度こそ転職することを報告。
父親は愛知から大阪まで仕事をほったらかしてすっ飛んできました。
1回目のときと同じく、僕の説得にかかります。
でも、1回目のときと違ったのは、僕の「決意」です。
1回目は、心の余裕がまったくなかったので話し合いにもならなかったのですが、今回は父親の言っていることをしっかり聞いて、一つずつしっかり真正面から答えていくことができました。
少し経って、父親も僕の決意が変わらないことを悟ったのかもしれません。
途中から説得を諦めたような顔つきに変わり、最後は「分かった。頑張れ!!」と力強く背中を押してくれました。
父親に転職の話をしたとき、1回目も2回目も最初は猛反対。
1回目と違ったのは、2回目は最後に、自分の決断を後押ししてくれたことです。
もしかしたら、父親は表面上は僕の転職を反対していたのかもしれないけど、裏側では、僕の覚悟が決まっていないことを心配していたんじゃないかな。
1回目のフラフラした気持ちのままでいったら、どこへ行っても上手くいかないし、人間関係の問題なんて大なり小なりどの会社でも起きるから、同じ状態になったら、またすぐに転職したくなる。
そんなことを暗に伝えていてくれたのかもしれません。
父親ときちんと向き合って話したのは、これが初めて。今でも忘れられない大切な出来事です
退職
父親への報告も終わり、残すは社内説明。
1回目のときと違って、覚悟は決まっていたので、パワハラ上司の顔色が怖くて退職が切り出せないことはありませんでした。
1.5ヶ月で5人の上司と面談。
そこで言われたのは、「上手くいくわけない」「世の中、そんなに甘くない」といったネガティブワードのオンパレード。
さらに、
- 希望の部署はない?調整するよ
- この前のマネージャー試験もあと一歩だった。次は必ず合格するよ
- やすはこの会社にとって必要な人材だから、もう少し一緒に頑張ろう
と、今まであり得なかった優しい言葉をかけてきた上司もいました。
- 「なぜ、上手くいくわけないと決めつけられる必要があるのか」
- 「なぜ、自分が一番苦しいとき助けてくれないのに、こんなときだけ優しくなるのか」
人間不信に陥りました。
と同時に、いかに会社にとって都合よく扱われているのかも理解することができました。
気持ち的に辛い1.5ヶ月。
そんな苦しい時期もなんとか乗り越えることができました。
たぶん、1回目に転職を考えたときの状態だったら、上司からの説得やこのやり取りに耐えられず、あっさり転職を諦めていたんだろうな。
社外の人と交流していろいろな価値観を身につけて、自分と徹底的に向き合ってきたおかげで、自分の思いが固まっていたからこそ、乗り越えることができたんだと思います。
こうして、24歳に入社して、約12年間お世話になった会社を退職。
次なるステージへと進むことになりました。
社会人13年目~(東京)
転職して初めての関東へ。
- 新しい環境で再出発
- 「習慣」について1年かけて学ぶ
- X(Twitter)スタート
- デュアル勤務スタート
新しい環境で再出発
これまでの
- 業界:情報通信
- 職種:システムエンジニア
- 企業規模:大企業
- 勤務場所:西日本
から
- 業界:異業界
- 職種:経営管理
- 企業規模:中小企業
- 勤務場所:東日本
へとガラリと変わりました。
まさに第2の社会人生活のスタート!
新社会人になった気持ちで頑張ろう!と36歳の新たな挑戦が始まったのです。
最初に味わったのは、大企業と中小企業との文化の違い。
- 役割分担はあるようでない
- 1人の守備範囲がものすごく広い
- ルールは決まっていないことが普通
- 個人が責任、裁量をもって進めていくケースが多い
今までと違うことばかりで戸惑いの連続。
会社のルールを覚えたり、これまでと違う業務のやり方に慣れたりすることに必死でした。
さらに、会計、税務、決算、総務、人事、会社法、M&Aと、これまでシステム関連の業務しか関わってこなかった自分にとって、まったく未知の領域の業務に携わることに。
まさに中小企業診断士の資格で学んだことを実践する形となったのですが、机上で学んだだけで実務経験はほぼゼロ。
慣れないこと、知らないことだらけで大苦戦。
早く成果を出さなければと焦ってばかりで空回り。
上司や後輩からも叱責される日々が続いて、思うようにいかない日々。まったく、太刀打ちできない状況でした。
でも、成果ばかり気にしても心が辛くてしんどくなるだけ。
「自分は新しい職場では1年生」「最初だから分からなくて当たり前」。
そう開き直って、
- 過去資料を読みまくる
- 資格の専門学校に通って勉強する
- 知らないことは知っている人に素直に聞く
- 説明や質疑応答のシミュレーションを念入りに行う
- 分からないことは幾つものWEBサイトや書籍で調べまくる
- 少しでも疑問を感じたことは、納得いくまで調べる
一つずつ目の前の仕事に丁寧に向き合い、自分で調べて作業していくことで、自分の知識と経験を増やしていくスタンスを心がけました。
だんだんと自分の”知っている”や”出来る”が増えて、少しずつ心の余裕や自信も生まれるように。
少しずつ叱責される回数も減り、だんだん業務を任せてもらえるようになりました。
業務量は多く、22時ごろまで会社に残る日も何度もありましたが、気持ちは充実していて、前向きに頑張ることができました。
「習慣」について1年かけて学ぶ
転職して約1.5年が経ち、38歳。
まだまだ本業に慣れることで精一杯でしたが、40代を手前にして、プライベートを充実させる”何か”を見つけたいと考えるようになりました。
この先、これまでのような失敗/挫折を繰り返して、遠回りしてるだけの時間/お金/年齢の余裕はない。
こんな危機感を覚えるようになったんです。
自分の土台を固めるために必要なものはなんなのか、、
このとき、興味を持ったのが「習慣」です。
これまでの人生、振り返ると「継続できたこと」と「継続できなかったこと」がありました。
振り返ってみると、きちんと継続できたときは良い結果に繋がっているし、自分の人生に良い影響を与えている。
逆に、継続できなかったときは、時間、お金、自信を失い、得るものはありませんでした。
「続ける」ことの大切さを実感したのです。
でも、
- 継続できた理由
- 継続できなかった理由
この違いがまったく分かりませんでした。
もし、継続できる理由/やり方が分かって、良い習慣を身につけることができれば充実した40代を過ごせるんじゃないか…
漠然とそんなことを考えていたとき、たまたま習慣化講座に関する一通のメルマガが飛び込んできました。
なんとなく内容が気になって無料説明会に申込み。
説明会当日、話を聴けば聴くほど、どんどん習慣の魅力に惹きこまれて、習慣について真剣に学んでみたいと心が揺れ動きました。
いよいよ説明会も終わりが近づいてきて、最後に講座の価格発表。
正直、お世辞にも安い金額とは言えず、戸惑いの気持ちも生まれました。
でも、
- この講座で学んだら、習慣化できるようになる気がする
- 習慣を整えたら本気で人生変わる気がする
- この講師から学んでみたい
そんな直感を信じて、その講座に飛び込むことを即決断。
1年かけて、習慣化についてみっちり学び実践していくことで、少しずつ人生が変わっていく感覚を覚えることができ、習慣で人生変わるってほんとなんだなって嬉しい気持ちになりました。
その後、新しい習慣化に加え、素敵な仲間とのご縁、X(Twitter)スタート、自分自身の習慣化講座リリースと、たくさんの可能性に恵まれました。「あのときの直感を信じて飛び込んでよかった」。そう心から思いました。
X(Twitter)スタート
「Twitter始めたんだ」
一緒に習慣を学んでいた学友からの何気ない一言で、それまでやったことも見たこともなかったTwitterを始めました。
- 学友が始めるならやってみようかな
- Twitterでつぶやいたら習慣化の役に立つかも
そんな軽い気持ちでスタート。
それから3か月。
いいねは計5。リプは0。何をツイートしたらいいのか分からず、散々たる状況。
早くもやめたくなりました汗
でも、一緒にTwitterを始めた学友が頑張る姿を見て、辞めるにやめることができず、無理せずマイペースで続けていくことに。
気づけば3年。
コツコツ愚直に続けた結果、当初、遥か彼方、手が届くことすら想像もできなかった10,000フォロワーまでたどり着くことができたのです。
爆伸びゼロ。バズもゼロ。
まわりがどんどん伸びていく中、自分は遅いし上手くいかないし、凹むことだらけ。
何度もイヤになったし、何度も諦めそうになりました。
それでも、最後まで諦めずに続けていけば、花咲く瞬間はきっとくる。
そんなコツコツ継続の威力を肌で実感することができました。
デュアル勤務スタート
大阪本社時代、東京で開催された中小企業診断士資格関連の研修に参加したときに出会った方とのご縁がきっかけで、新しい副業の機会に恵まれます。
新しい副業は、平日夜または土日に自分が出勤できる時間帯を選んで別の勤務先に出社する、いわゆる「デュアル勤務」です。
日中は本業、平日夜または土日は別の勤務先に出社。
家事/育児/ほかの副業とのバランスを含め、一気に時間のやり繰りが厳しくなります。
それでも
- 新しい収入源の構築
- 新しい経験や知識の習得
- 社外ネットワークの拡大
- 本業/副業/家事/育児のバランスのとり方
- 本業を業務時間内で終える一層の姿勢と工夫
など、得られるものがとても多かったです。
デュアル勤務を始めて約1.5年経ったところで終了。
たくさんの貴重な経験を積ませてもらいました。
社会人20年目~(いま)
あのとき、転職してから約7年。
本業/副業/家族/育児と忙しいながらも、心身充実した日々を過ごしています。
本業は、異業界、未経験職種ながらも、目の前の業務に全力で向き合った結果、
- マネージャー
- 6社の社外監査役
- 給料/ボーナスは過去最高を更新
までたどり着くことができました。
副業は、中小企業診断士として活動を続けた結果、年7桁の副収入、共著2冊、開業届まで到達。
これまでの習慣化に関する自分の知識や経験をまとめた「習慣化メソッド講座」や、資格試験最短合格を目指す方に向けた「Kindle本」をリリース。
中小企業診断士資格の副業とは別に、新しい形の副業に挑戦しています。
情報発信は、X(Twitter)をきっかけに、前向きな気持ちで一緒に頑張っていける素敵な仲間とのご縁、40代でも夢を持つことの大切さ、新しい副業の可能性など、人生変える機会に恵まれました。
人生いつからだって遅くない。
自分の気持ちを大切にして、勇気を振り絞って小さな一歩を踏み出せば、新しい世界が見えてくる。そう信じています
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!
これからもよろしくお願いいたします。
人生変わったきっかけ7選
これまで歩み続けてきた44年間。
決して順風満帆な人生でなく、失敗と挫折の繰り返し。
でも、いろいろな経験や行動をきっかけにして、少しずつ人生好転させることができました。
そのポイントは何だったのか?
自分なりに「これかな」と思ったことを7つ厳選して挙げてみます。
自分の気持ちを大切にしたこと
これまで世の常識やまわりの目ばかり気にして生きてきた人生。
- 浪人してはいけない
- 大学院では論文発表しなければならない
- 大企業で出世しなければならない
- 親の期待に応えなければならない
- 貯金しなければならない
- 目の前の辛いことから逃げてはならない
”べき論”の嵐。
とにかく固定観念が強かった。
そんな固定観念に応えられるよう、努力してきた人生。
でも、自分の心の中はいつも責任感や義務感に追われてばかりで、自分の心に嘘をついた窮屈で苦しい日々。
外に良く見せようと小さな虚勢や見栄を張っているだけで、心の中はモヤモヤしたまま。
生きる意味を見出すことも考えることもなく、ただ決まった時間に会社に行って、生活費を稼ぐためだけに耐え凌ぐ毎日。
自分の感情を外に出すこともできず、固定観念のレールからはみ出すなんて考えもしませんでした。
でも、36歳。
マネージャー試験に2回落ちて、真っ暗闇の家の中で沈んでいたあのとき、生まれてはじめて、「べき論」でなく「自分の気持ち」に正直になりました。
そう。12年間勤めた大企業を辞めて中小企業への転職に踏み切ったのです。
最初は怖かった。
自分がずっと信じて守り続けてきた固定観念を捨て去って、別の道に歩むことを選んだのですから…
でも、「頭」でなく「心」を優先したとき、肩の荷が下りて晴れやかな気持ちになりました。
そして思ったんです。
「あぁ。自分の”やりたい”を選んでもいいんだな」
一体、自分の人生は誰のための人生なのか?
間違いなく、「自分」のための人生です。
36歳までの僕は自分の人生を生きているようで、他人の期待や世の常識に応えるための人生を過ごしていたんです。
一度切りの貴重な人生なんだから、もっと自分の好きなように生きていい。
いまは、そう思っています。
自分の直感を信じて動いたこと
どちらかと言えば、僕は石橋を叩いてじっくり考えるタイプなのですが、直感が動いたときは、その直感を信じて瞬間的に行動することもありました。
- B’zとの出会いは、給食のときに流れてきた音楽が気になって、学校が終わってCDショップへ猛ダッシュ
- 中小企業診断士資格の勉強は、たまたま本屋で見つけたパンフレットに惹かれてスタート
- 大阪にいたとき、愛知開催の中小企業診断士資格の勉強会に誘われて即参加
- 大阪/愛媛にいたときも、東京のイベント/コミュニティで気になったものは、交通費や受講料を惜しまず参加
- 習慣化の学びは、たまたま流れてきたメルマガの内容に興味を持って無料説明会に参加し、即講座受講を決断
- X(Twitter)は、学友からの誘いに乗ってスタート
いま振り返ると、直感を信じて動いたことは良い結果に繋がっているし、一切後悔がありません。
自分の直感って意外と当たります。
直感が当たるのは、今までに積重ねてきた経験と思考の結果だから。
そう思えば、単純な勘と違って、自分の人生から生まれた根拠あるものなので、信頼に値するものだなって思います。
社外の人との交流を大切にしたこと
これまで自分が辛かったとき、苦しかったとき、成長したときを振り返ると、自分が腐らずなんとかやってこれているのは、本当に人とのご縁のおかげだと思いました。
前職大阪本社でメンタルダウンに陥ったとき、診断士勉強会に誘ってくれた診断士の先輩、その勉強会で知り合った社内の部長、その部長から紹介いただいた新しい診断士の先輩との出会い。
このご縁のおかげで、会社以外の居場所、新しい価値観や考え方に気づくことができて、自分の人生を諦めずに乗り越えることができました。
中小企業診断士の資格で13年間副業を続けていますが、有難いことに、これまでの案件はすべて診断士の先輩や仲間からのご縁でいただいたものです。
このご縁がなければ、診断士資格を取っても副業の機会に恵まれることはありませんでした。
大好きなB’zのライブには、毎年3~4会場一緒に回る知人がいます。
この歳になって、一緒にライブにいける仲間がいるのは最高に幸せなことです。
習慣化を一緒に学んだ仲間、X(Twitter)を通じて知り合った皆さんとの交流のおかげで、日々前向きな気持ちで過ごすことができています。
「40代でも遅くない」「40代でも夢をもって頑張ろう」って思えるのは、皆さんからたくさんのエネルギーや勇気、刺激をいただいているおかげです。
人は環境に影響される生き物。
良い人生を過ごすためには、良い環境に身を置いて、前向きな人との交流を重ねることが大切なのだと思います
一期一会。
この先も感謝の気持ちを忘れずに持ち続けていきたいです。
徹底的に自分と向き合ったこと
- メンタルダウンしたとき
- 転職した直後
- 習慣を学んでいるとき
- X(Twitter)で道に迷ったとき
自分のことが分からなくなったり悩んだりしたとき、節目のタイミングで徹底的に自分と向き合ってきました。
《過去の自分》
・自分史
・これまでの成果、失敗/挫折
・嬉しかった/楽しかった/ハマったこと
・嫌だった/悲しかった/辛かったこと
《いまの自分》
・価値観
・欲求
・長所/短所
・いまの環境
・興味あること/楽しいこと
・やりたくないこと/嫌なこと
《未来の自分》
・目標(1年後/3年後/5年後)
自分を知る作業は正直しんどいし、目をそむけたくなることばかりです。
でも、大変だからこそ得るものも大きい。
自分のことが分かっていないときは、自分がやっていることに自信が持てず、まわりの意見や世の常識に振り回されてフラフラ。
何をやっても満足せず、やりたいことが何なのかもわからず、心がモヤモヤして満たされない状態でした。
でも、自分のことをきちんと知ってからは、自分の進む道がハッキリして自分のやりたいことを自信を持って進んでいけるようになりました。
土台がグラグラしたまま何かを積重ねようとしても、上手く積重ねることはできません。
- 自分の方向性を見失ったとき
- 自分の気持ちが不安定なとき
- 迷いや悩みを抱えているとき
こんなときこそ、自分と向き合う時間を取って丁寧に自問自答。
自分の土台を固めることが大切なんだと思います。
副業を続けたこと
「受験体験記を書きませんか?」
31歳。中小企業診断士の資格を取得して、受験予備校からの一通のメールが僕の副業人生の始まりでした。
あれから13年。
診断士の先輩/同僚からのご縁を大切にして、コツコツ副業に取り組んだ結果、自分の人生が大きく変わりました。
もし、副業をやっていなかったら、僕は日々の生活費を稼ぐために、前職でパワハラや転勤をガマンしながら会社に行くだけの人生を過ごしていて、出世を重ねていく同期や後輩に引け目や不満を感じながら生きていたんだろうな…
何の楽しみも将来に希望も持てず、何のために生きてるのか分からない人生を過ごしていたに違いありません。
でも、副業のおかげで、この状態から脱することができました。
いまでは
- 習慣化メソッド講座の運営
- Kindle本の出版
と、新しい副業にもチャレンジしています。
本業一本では不安な時代だからこそ、会社員が副業をやる意義はどんどん増していると思います
副業は、会社員が自分で自分の人生を切り拓くと同時に、自分の身を守る最高の手段。
これからも少しずつ将来に向けて育てていきたいです。
情報発信を続けたこと
X(Twitter)を始めたのは38歳。
何者でもないただのサラリーマンが、5年間コツコツ情報発信を続けたおかげで、自分の人生を大きく変えることができました。
X(Twitter)の可能性は無限大。
そう信じて、これからも情報発信を続けていきたいです。
習慣を学んで整えたこと
もう遠回りしている時間もお金も余裕がない…本気で自分を変えたい!
40歳を目前にした38歳のとき、そう覚悟を決めて、踏み切ったのが習慣化への「自己投資」です。
1年みっちり習慣について学んだ結果、「継続できる」と「継続できない」の違いが明確に分かるようになり、講座終了後、4年かけて試行錯誤を繰り返した後、たくさんの新しい習慣と自分にとって心地よい24時間を整えることができました。
さらに
と、想像も出来なかったたくさんのメリットを受け取ることもできました。
まさに習慣を学び、実践を繰り返したおかげで、自分の人生を大きく変えることができたのです。
どんなに世の中や求められるスキル/経験が変わっても、良い習慣を身につけることは、良い人生を生きるための不変のスキル。自分の人生に大きな影響を与える根っこの部分になります。
良い習慣化で人生好転する。
そう心から信じています。
やすの思い
人生、諦めなければ道は拓ける
僕が大切にしている思いです。
これまで、心が辛くなったこと、悔しい思いを味わったこと、人生諦めたくなったこと、何度もありました。
そんなとき、いつも大切にしてきた言葉があります。
「最後まで…希望を捨てちゃいかん。諦めたらそこで試合終了だよ」
僕の大好きなマンガ「スラムダンク」の安西先生の名言。
この言葉に何度も救われましたし、人生頑張ろうって思いました。
大学院時代は、苦手なプログラミングに大苦戦。
1年まったく成果が出ずに1週間に1回のゼミは言い訳だらけ。
でも、1年後に小さな成果を出せたことをきっかけに国際学会で発表、国際論文に寄稿できました。
投資で200万円の損失。FXで60万円の損失。情報商材詐欺で50万円の損失。
そのときは失意のどん底でしたが、そのおかげで、お金を学ぶ重要性、お金に対する価値観が変わりました。
中小企業診断士資格へのチャレンジは、平日3時間。土曜日5時間の勉強。模試の結果はD判定ばかり。
でも、10ヶ月の勉強でストレート合格。12年経って年7桁の副収入。共著2冊。開業届まで実現できました。
前職では、4年間、パワハラを受けてメンタルダウン。同期や後輩がどんどん出世していく中、自分だけ取り残されていく。
でも、会社の外に目を向けたり自分自身と向き合ったりするきっかけになりました。
転職活動は、書類選考や面談で落ちてばかり。凹んで自分に自信なくす日々。
でも、計27社目のご縁で、36歳で異業界、未経験職種、大企業から中小企業へと初転職に成功しました。
転職先は、初めてのことだらけの仕事、文化、上司同僚との関係に悩む日々。2年間の叱責。10歳年下の後輩からの説教と苦しいことだらけ。
でも、7年経って過去最高の給料/ボーナスと6社の社外監査役に就くことができました。
38歳で始めたX(Twitter)。最初の3か月はいいね計5。リプ0。これまで一度もバズなし。爆伸びなし。
でも、愚直に1日1ポストを続けて13万ポストを積重ねた結果、5年で1.8万人とのご縁ができました。
諦めたら、そこで道はお終い。
でも、諦めなければ道は続くし、何が起こるか分からない。
人は人。自分は自分。
遅くても遠回りでも小さな一歩ずつでもいい。まわりのペースは気にせず、マイペースで自分のゴールに向かって進んでいけばいい。
ムダな経験なんて何一つない。
自分から人生諦めずにコツコツ続けていけば、たくさん蒔いた種が花咲く瞬間はきっとくる。つらいことを乗り越えた先に見える景色はきっとある。
最後まで自分の「未来」と「可能性」を信じて、一緒に続けていきましょう!
まとめ
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
貴重な時間を使って最後までお読みいただいことに、心から感謝申し上げます。
自分の人生、自分で舵を取って自分で道を切り拓いていく。
そうすれば、最高に楽しく充実した時間を過ごせると信じています。
これからも一緒に、人生好転させていきましょう!